平和について考える
1945年8月6日午前8時15分の出来事だった。
アメリカ軍から1発の原子爆弾が投下され、何十万人の人々の命は奪われたのだ―
という話は、社会の授業などで聞いたことがあるだろうか?
私の生まれ故郷は被爆地広島なので、毎年8月6日は8時15分の黙祷から始まり、特別番組が組まれる。
小学校では平和学習として、原爆についての物語やビデオを鑑賞したものだ。
今は仕事の都合で首都圏に在住しているが、こちらの原爆への、言い換えると平和教育への意識の低さに驚かされるばかりだ。せいぜい終戦記念日がわかる程度だろうか。
まず、原爆が投下された日時がわからない。
長崎についても同様。
一昨日、NHKの特番で原爆投下された直後の広島のカラー映像が公開された。
わが家は、旦那も同郷なので家族で番組を見ていたが、かなり酷い、悲惨な真実が映し出されていた。
黒焦げになった母親の横に立ち尽くす人、命が尽きた兄弟を背負う兄、救護施設で横たわる無数の人々、戦争が引き起こした真実がカラー映像として目の前に突きつけられた。
広島の人間として、原爆の物語や映像は何度も見たことはある。だが、こんなに戦争の残酷さを心から感じたのは初めてだと思う。
百聞は一見にしかずというが、本物の映像の力は計り知れないものがある。
なぜ、原爆の悲惨さが日本全国に広がらなかったのか?
それには、アメリカの戦後支配の影響がある。
マッカーサー率いるGHQが、原爆について日本国内で報ずることを禁止していたのだ。そうしないと、日本全国に反米感情が湧き上がり、いつカミカゼ特攻隊のようなテロ行為が起こるかわからないからだろう。
また、原爆のあまりの悲劇に、被爆者自身が口を閉ざしてしまったことも一因かもしれない。
辛い記憶を忘れさりたい
見えない差別で苦しい
そういう思いが、原爆の事実を覆い隠してしまったのか。
原爆資料館のリニューアルに伴い、火傷でただれた親子のマネキンなどが撤去された。
訪れた人が怖いと感じるからだと言う。
目をそむけたくなる「それ」が戦争の真実なのだが、じゃあどうすれば悲惨さを伝えられるのだろうか?
私は、見るのが辛くても小細工などせず、ありのままを伝えるべきだと思う。
真実は人々の心に何かを問いかけるはずだから。
存命の被爆者の方々で、日本人は核兵器の恐ろしさを忘れていると危機感を持ち、生きている限り被爆体験を伝えていこうとしている。
私も子どもたちに戦争の悲惨さを伝えていきたい。
二度と核兵器を使う世の中にならないために―
(念の為断っておくと、私は右でも左でも共産主義でも何でもない、ただの1市民である。)